☞前回、帰省日記(日々是好日 編)の続き
【心配】
5月の大型連休に帰省した時、母が認知症の初期症状が出ている事をブログに書いたが、やはりこの帰省中にも、そう思うことが度々あった。
実家の冷蔵庫の中を見ると同じ物がいくつもある。賞味期限切れの物も多い。買った物を覚えていないのだろう。
また、財布の中にある小銭がやたらと多い。レジで慌てているのか、または計算が出来ずに毎回札で支払っているのだろう。
そしてお盆期間中は、お供え1日3食を作るのだが、1食分3種類が覚えられず、何度もアタシに訊く。
なますを作りながら、母はアタシに「時々、分からなくなる時がある」と言った。
母は5月に帰省した時より難聴に拍車がかかっており、こちらから大きな声で話さないと聞こえない。もっと優しい言葉を掛けてあげれば良いのだが、アタシも大きな声を出さないといけないものだから、つい感情的に言ってしまう。
そして、「前はもっとハツラツとしていたじゃないか、もっとしっかりしてよ!」と母に向かって思う。アタシはひどい娘だ。
また、脳梗塞で右手足に力が入りずらく、家の中でも杖をついて歩いている。もう、ヨボヨボだ。
そんな状態でも母は、お供えを作る。台所に立つ母は、また小さくなっていた。
親戚の集まりでも、耳が遠く皆の会話がほぼ聞こえていない。なので感情が薄い。今、振り返って、帰省中に母の笑った顔は何回見ただろうか?いや、ほどんど笑っていない。
風呂上がり、着替えをしている母がボタンを留めながら、遠い目をしていたので「何を考えてんの?」と聞くと、母は「あれもこれもしないといけない、歯も磨かないといけない、もう死んだ方がまし」と言った。
母も身体や頭の衰えを感じ、心まで参ってしまっているのだろう。「死」という言葉を発した母を前に、娘のアタシはどうしたらいい・・・。
【墓参り】
母の本家は、後継ぎが大阪にいたが早く亡くなっており、墓じまいをし、永代供養をしてもらっている。
母には姉がいたが、30年以上前に亡くなっている。高台の見晴らしの良い場所に眠っている。母は墓までの坂道がシンドくて、兄に背おられて登った。二人の後ろ姿を見て、アタシは泣きそうになる。そして、母は兄の背中で「もう来年は来れないだろう」と、ポツリと言った。
【写真】
手の届かない天袋の整理をした。その天袋に古びたアルバムがあった。ほとんどが白黒写真で、戦時中の写真もあり、出征記念の写真も見つかった。その人は誰なのか分からない。
そして、結婚前の父と母の写真もアルバムにキレイに収まっていた。また、兄やアタシを抱いて、大きく口を開け満面の笑みの母の写真もあった。今は、こんなひまわりのような母の笑顔が消えた。
お母さん
お母さん
お母さん
8月15日、あっと言う間の帰省。
「じゃあ帰るね」と言うと、
母は「帰るじゃない、行くと言いなさい。ここがあんたの家なのだから」と言ってくれる。
心配で、心配で、後ろ髪をひかれる思いで実家を後にした。
そして、またアタシの日常が始まる・・・。