つぶやきよりチョイ長め

【別冊】Theノンフィクション

📩退職する西田君・愛を社内日報に書いて全社員に一斉送信した話

皆さんの会社、日報、週報、月報って習わし、まだあります?

管理者にとっては、これがあると個々の仕事の進捗状況が管理しやすいだろうし、こちら側も日々の反省と今後の展開を改めて確認できるので、営業日報なるものはきっと良い方法なのだろう。(知らんけど)

実はこのアタクシ、どの会社に勤めてもアタシが書いた日報は評判がよかった。
解りやすいとか、しっかりした内容だとかのレベルではなく、ただ「面白い」という理由でだ。

進捗状況を堅苦しい用語で報告をする、といったようなド定番のみならず、営業先での出来事や担当者の様子、また派遣スタッフの派遣先での仕事ぶりなどを「山野 節」で書いていたからだろう。

なので、上司の上の上のやんごとない人達(役員)も、日々アタシの日報が送信されると一番に開いて見る、というほど上層部で有名だった。
「日刊 山野」と名付けられたくらいだ。

さてタイトルの件、現在より2つ前の会社での話。
アタシは転職が多いという話はチョイチョイ書いてきた。
この話は「働き方改革」という言葉が世に出る前のこと。


転職先は、アタシより年下の上司や社員が多かった。(そりゃそうだ)

その会社に「西田君(仮名)」という当時28歳の男性がいた。この西田君、元ドヤンキーで中卒(高校中退)だった。バイトを転々とし、25歳でこの会社に入ったという。
そんな経歴の西田君がこの会社に入れた理由は、「何でもやります!」「気合しかありません!」と面接の時に何度も何度も繰り返し訴えたからだという。

アタシがこの会社に転職したての頃、この西田君がアタシの教育係(?)として付いてくれた。最初の頃、アタシは西田君を下に見ていた。中卒でヤンキーだったからではない。社会人としての常識がなかったからだ。

アタシは、彼が持っている曲がった常識を指摘し注意した。そうなると西田君も先輩としてのプライドが出る。そして二人は険悪になる。


それでも二人セットで営業をした。

飛び込み、テレアポの件数のノルマがある。

アタシらは年齢差があるので逆に通じやすかったのか、幸いなことに営業活動がうまく行き業績が上がって行った。そんな中、二人で飲みに行く機会も増えた。話してみると、アタシらは意外と気が合う。笑いのツボも同じだった。
そして西田君の人となりを好きになっていった。(LOVEじゃないよ)

横でこの人を見ていると、営業先の担当者に信頼されている(可愛がられている)、

若いながらも他の社員に頼りにされている、

失敗してもへこたれない精神、

そして、お母さんが早くに亡くなって、バアちゃん子で優しいところ。

ヤンキー時代は、相当な悪いことをやってて「自分はクズでした」という言葉を気持ちよく吐き出す素直さ。

兄は高校教師、弟は高級公務員なので、実は西田君も地アタマは良いのだ。そして誰にでも分け隔てなく接するこの人は、会社内でも人気者だった。

そんな日々が続いたが、ある日、西田君が退職するという。理由は、詳しくは言わなかったがだいたい分かる。
この会社はブラックに近い、グレーだったからだ。

ま、世の会社なんてそんなもんだろう。当時、昭和産のアタシにとってはサービス残業パワハラなんてお茶の子だった。


しかし、若い西田君は違う。もう「何でもやります、気合です!」と言っていた、あの面接時の西田君ではない。中卒でバイトしか経験がなかった彼も「知恵」が付いたのだろう。元々アタマの良い人だから、この会社の矛盾が分かり始めたのだ。

西田君が退職する。

残念に思う気持ちと、この伸び盛りの若人はこんな会社にいてはいけない、という送り出す気持ちとが交差する。

 

 

少し会社に襟を正してもらおうと、この企みを考えたのだ。

 

 

そして日報に、西田君が退職することでどれだけマイナスになるのか、クライアントに信頼され、また社内でも好かれていたかを、会社に対するイヤミの言葉を含め、2000文字ほどの文章に綴り、下書きに置いた。

 

西田君の最終出勤日。

18時ジャストに一斉送信した。

通常日報は上役に送るのだが、この日は全社員に送った。

社内はザワついた。

しかし、やんごとない人達(役員)はダンマリだった。

 

 

そして主役の西田君はというと

あちらの席で「苦笑い」をしていた・・・。