つぶやきよりチョイ長め

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【愛の劇場】89歳と86歳のちくわ(前編)

母が入院した。
高齢者によくある「腰椎圧迫骨折」だ。

この話は父と母のしょーーーーーもないケンカから始まったものだ。


ケンカの原因は「ちくわ」だ。
ちくわの賞味期限が2~3日前に切れていて、父は「そんなもんは食べん!」と言い、母は、「パーシャルに入れていたから大丈夫!」という、マジでしょーもない諍いがあったらしい。
冷蔵庫の前で、あーだこーだケンカになり、父が母の肩を押したことにより、片足に脳梗塞の後遺症がある母が転んだ、という経緯だ。


肩を押した、と言っても漫才師が「ナンデヤねん」と相方を裏手でツッコむ程度の緩さだったらしいが、それでも母は踏ん張れず転んだという。

そう言う訳で、9月から母の入院生活が始まった。
最初は、ベッドから起き上がるのにヒーヒー言っていたが、コルセットのお蔭か、薬のお蔭か分からないが、ひと月ほどで痛みが無くなったようだ。

腰の痛みは無くなったのだが、年寄りが入院するとあまり活動しなくなるので、日に日に足の筋肉量が減り歩けなくなるパターンが多い。なので相当リハビリをしっかりしないと寝たきりになってしまう。


ちなみに、以前のブログに母の痴呆が始まった、と書いたが、あれからは進行していない。

あの後、補聴器を付けるようになり、それ以降は以前のハツラツさが戻ってきたようにも見える。(夏に元気がないように見えたのは、難聴が原因だったのか?)

 


母の面会に行くと、割と元気で非日常を楽しんでいるようだった。

食の細い母にとって、病院の食事の種類の多さに戸惑っていたようだが、骨や筋肉のために無理にでも食べるようにしていたらしい。少し顔色が良くなっているようにも見える。

 

さて、母が入院してからの父だが、まるで人が変わったように元気がなくなった。

自分のせいで母を骨折させた事と、その事をアタシら子供に責められるわで、マンガのようにションボリしていた。
そして、なんと言っても家に話相手がいないという寂しさもあるらしい。もちろん、家族はいるが父にとって母はオンリー1なのだ。

急遽帰省したアタシに父はこう言った。「さびしい・・・」と。
「こんなになったのは、お父さんのせいだから仕方ない!」とホンネをぶつけると、「もうそれを言うな。オレの方が死んだ方がましだ。」と言う。


父は昭和初期生まれ、しかも男4人兄弟の三男坊で育ち、「オレ様」で過ごして来ていた。15年ほど前に母が脳梗塞で入院した時も、あまりそれと変わらずにいたが、今度ばかりはオレ様の影はなくなった。

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来年90歳になる父は、車も普通に運転する。耳が少々遠いが、とっても元気な89歳だ。
母の面会に行くと、父はとても嬉しそうだ。その嬉しさを隠そうともしない。帰る前は母の腕や顔をさすり、手を握ってから帰る。病室を出る時は、必ず振り返る。
そんな愛情を見せる父親をこれまで見た事がなかった。相当、オンリー1である母が恋しいのだろう。

 

入院中、アタシは母とよく電話をした。その電話で、父のションボリした肩の落とし方と、母への恋しがり方を面白おかしく話して聞かせた。母は少しテレなからも嬉しそうだった。

 

 後編へ続く ☟

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