つぶやきよりチョイ長め

【別冊】Theノンフィクション

【2025宅建合格】1ケ月前からのロックオン

アタシは、宅地建物取引士である。

宅建士は、試験に合格しただけでは宅地建物取引士とはいえない。試験に合格して実務経験が2年以内の者は、1~2日間の講習を受講(受講料2~3万円)し、修了試験に合格した者が都道府県に登録できる(登録料37000円!)。

それだけでは終わらない。「宅建士証」の交付を受けて、晴れて宅地建物取引士と名乗ることができるのである。ちなみに宅建士証は運転免許証タイプのプラスチックプレートで、これを交付申請するのにまたもや4500円もかかる。よってアタシは、不動産業界に勤めてもいないので、数万円を無駄にしている形になる。費用対効果でいえば赤字である。ま、無用の長物いうわけだ。

さて、今日10月18日はその宅地建物取引士の資格試験日!業界では年に1度のお祭りだ。アタクシ合格者としては高みの見物である(ニヒヒ)。

せっかくなので承認欲求をおっぴろげて、昨年の試験開始1か月前からどのように過ごしたかを書き残そうと思う。

◇9月中旬

この頃から、試験本番の対策に入った。この試験は「宅建業法」という法律問題がミソである。50問中20問も出題される。これをほぼ100%正解しないと合格は厳しい。試験時間2時間のうち、この宅建業法を20~25分で素早く解くことに熱を入れた。平日の昼休みは公園に出かけ、「宅建業法30分チャレンジ」と勝手に題して毎日20問解いた。30分で20問ってイケるっしょ?と思われるかもしれないが、1問4択で読むだけでも時間がかかるのだ。しかもひっかけが多い!昼の公園はザワザワした状況であるが、あえて集中力を鍛えるために外に出た。だってさ、試験会場の大勢の受験者の中で、果たして試験2時間も集中できるのかが不安だったんだもーん。もしかしたら、隣りに座った受験者が風邪を引いていて、鼻をグズグズしたり、せき込んでいたり、または独り言が多い人や貧乏ゆすりをする人だったら、絶対試験に集中できないだろう。とくに、壮年期のおばはんは、長文を読むのに相当の集中力が必要なのである。

◇試験2週間前

味噌汁を作ろうと小松菜を刻んでいた時、洗い残しなのか5ミリくらいの黒い石のようなものがひっついているのに気付いた。よく見るとカタツムリだ。危うく刻んでしまうところだった。うーん、どうしたものかと思ったが、試験前に殺生をしてしまうとなんかよろしくない気がして、コップにパンくずを一緒に入れてやり、翌朝公園で放してやった。「一宿一飯の恩義」をねらった。

◇試験前日

この日は、勉強ができる最後の日だ。覚えておくべきものの漏れはないか?忘れてしまったことはないか?何から手に付けてよいものかアワアワして1日がむなしく終わった。この日は、24:00に就寝。眠れないかもと思ったが、蒸しタオルを目に当てて深呼吸していたら速攻眠りについた。

◇試験当日

7:30にアラームが鳴った。スッキリ目覚めた。試験当日は、いかにこの壮年期の脳みそをフルに使えるかを事前にシュミレーションしていた。

8:00 朝ごはん(納豆・味噌汁)、試験前に食べるおにぎりと唐揚げを準備

9:00 2時間ほど軽く復習(間違いなく出題されるものだけ)

11:00 出発準備

11:30 自宅出発(会場は自宅から電車で2区間の場所だったので、脳みそに血が回るように徒歩で行く。途中、見知らぬ神社があったので実力を発揮できるよう祈念)

12:10 会場近くの公園にて、小さめのおにぎりと腹持ちのよいタンパク質(唐揚げ)を食す。

12:30 会場入室(予想通り、人であふれている)

12:45 途中、スタミナ切れにならないよう、糖質ゼロの栄養ドリンク(アリナミン)をこっそりイッキ飲み

13:00 試験開始(ゴングが鳴った)

◇試験中

貸会議室にあるよくある長机に二人掛けで、真ん中を空ける形の座り方だ。お隣はアタシと同じくらいの男性だった。鼻すすり、独り言・貧乏ゆすりをしない方でマジ良かった。

昨年は4肢の中にいくつ正解があるか?という個数問題が多く、この数年の中でも相当難しい内容だったようだ。

◇試験終了後

手ごたえ無し、ヤバイという実感。

会場から外に出ると、他の受験者が「わからない問題はなかったよー」と言っているのが聞こえ落ち込む。アタシは「落ちた、やはり独学は無理だったのか・・・」とトボトボ歩いて帰宅したのを覚えている。

その日は、自宅で各自採点をするのが常らしいが、アタシはショックで採点できずにいた。そんな中、ネットでは、合格点は34点だ、35点だ、なんだかんだ予想が飛び交う。いやいや、アタシはそこまで点数採れていないわ・・・。

試験から3週間ほど過ぎ、少し落ち着きを取り戻したアタシは、合否はどうせ知ることになるし採点してみるかと試験問題を手に取る。どきどき。

まずは民法から、

〇、〇、〇、〇、〇、×、×、〇〇〇、え?〇、〇、〇、へ?◯、ま・・・・・・

自己採点、なんと!50/39点だった。マークシートをミスっていなかったら合格圏内に入っている!!!

それでも、合格発表までは信じなかった。

そして発表当日、受験番号発見。あった・・・、合格しとる!これはカタツムリの恩返しか?はたまた、受験直前の神社参拝の効果か?

 

 

さあ、13:00!ゴングが鳴った。

どうか受験される方の実力が出せますように(祈)

 

~Fin~

 

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【体験談】タイミーさんと呼ばないでっ!

アタシは孤独な独身。一人暮らしを満喫する中年壮年オンナだ。

子供もおらず、趣味もなく、ただただ生きているだけのウンコ製造機である。要するに毎日「ヒマ」だ。同じような境遇の方に伺いたい、仕事終わりや休日は何して過ごしているの?

そんな時間が有り余っているアタシは、ある時期ショート動画というニンゲンを狂わせる装置にハマった。次々におススメされる動画を限りなく視てしまう。例えば、鼻の角栓をピンセットでひたすら抜く、という動画を気付けば2時間も視ている時があった。もう沼だ。

あかん、これではボンクラの上に脳みそがユルユルになる!

昨年、宅建士資格試験の勉強に熱を入れた。転職しようとかそんな野望があったわけではなく、ただの「ヒマ潰し」だったのだ。

無事に資格試験の終了後、しばらくは達成症候群のように何も手に付かなかった。それは、燃え尽きたあしたのジョーの如く(真っ白にな・・・)。

そして気が付くと、またもやショート動画という振り出しに戻ってしまった。今度は粉瘤の手術動画だった。

あかん、これでは脳みそパーン、になる!何かせねば!

・・・というわけで、見つけました!

それは「タイミー」という、ショート動画・・・いやショートワークである。

まずはアプリをDLし、自分の顔写真やら個人情報(本人確認)やら振り込み先やらなんやかんや入力しなければならない。またこれがメンドクサイ!(この段階で働く前なのに辞めたくなった)

さらに、希望する仕事内容、就業場所・時間帯、未経験OK案件等など設定することができる。

最初はどうやって仕事にありつけるのか分からず、日々アプリを悶々と眺めるだけだったが、そのうち知恵が付いてきた。仕事をしてみたいお店に「お気に入り♡」をつけておくと、そのお気に入り店から募集のお知らせが通知される。これはタイミングがモノをいう。良さそうな案件は、お知らせが通知されると蜜に群がる蟻のようにすぐに決まってしまうのだ。

仕事は、ずっと前キャバクラの裏方で鍛えた経験を活かし、飲食店の洗い場を希望。当時、一晩に数百個のグラスを洗っていたんだゼィ。たるんだ腕が鳴るゼ!

なんだかんだ前段階が長かったが上手いことマッチングし、いよいよ初日だ。お店は某有名人気ラーメン店だ。当たり前だが、お店は忙しいからこそタイミーの募集をかけるのであって、暇なわけがない。初日から、アタシはその忙しさの洗礼を受ける羽目になった。

ラーメン丼、チャーハン用の皿、れんげ、ギョウザ用の皿、これらを予洗いし業務用食洗機にイン。洗浄されたそれらを、あまりキレイと言えないふきんで拭き上げる。という単純作業である。しかし、行列ができる店舗だし客の回転が早いので次から次へと汚れ物がさがって来る。契約時間5時間、あっと言う間に時間がくる。

気になる時給は、アタシが住まう県の最低賃金+交通費だった。歩いて通勤できる場所なのでトータルで計算すると、直雇用のパートさんの時給くらいだ。まあ、そんなもんだろう。

初めての就業先で即日に役に立てるのか?と思ったが、タイミーの業務内容は、基本的に超単純作業のようだ。応募時に労働条件通知書で確認して頂きたいが、例えば食器を洗うだけ、バッシングだけ、ひたすら〇〇するだけとか。ただその分、チンタラチンタラ作業してはいけない。

応募時には内容をしっかり確認する。一度、洗い場で応募したのに接客に回されそうになった。その際は、応募時の労働条件通知書を見せて「条件が違うよ」と申し出たこともある。

タイミーでの仕事は、時間が来たらスパッと終了するし、また異業種を垣間見ることができて楽しい。これが生業ではないので気が楽だ。そして(憧れの)まかないが付く就業先もあり、テンションが上がる!

 

逆に、タイミーで働いてテンションダダ下がりということもあった。

就業先によっては、Tシャツやエプロンを貸与してくれる。それは有難いとこだが、これちゃんと洗濯してあるの?っていうような怪しい色や臭いがするものを渡されることがある。そういうのを見ると速攻帰りたくなる。

それから、就業先では「タイミーさん」と呼ばれる。名前を呼んでくれる就業先は滅多にない。1日だけしか来ない短時間労働者には名前は不要なのか?

以前、アタシは人材派遣会社で営業をしていたことがある。当時の派遣スタッフが、派遣先で名前ではなく「派遣さん」と呼ばれることに対して憤慨していたが、まさしくそれだ。その時は、派遣先に名前で呼ぶよう逆クレームを入れたアタシ。

「タイミーさん」「派遣さん」

な~んかね、シタにみられている感覚があるっていうかねぇ…。

さて、アタシのショートワーク生活はここ半年くらい続いている。

そして、自分の中でルールを作った。

①条件は最低賃金でもよいが、歩いて行ける範囲又は交通費が一部出るところとする。

②土日休みの内、どちらか1日のみ稼働する。しかも気が向いたときだけ。

③1回の労働時間は4~5時間程度にする。

 

バイト代は、スマホ申請して当日に振り込んでもらえる。使い道は、ほんの少しの贅沢に使うようにしている。ここ数年、物価が上がりスーパーで手が出せなくなった食品を買ったり、ランチでワンランク上のプレートにしたり、欲しかった本も中古ではなく新品で買ったりと、そんな小市民的な使い方をしている。

タイミーでのショートワーク、アタシの中ではおススメである。特に、アタシのような「職場でモノ申される機会が減った」人たちに。この壮年というお年頃は、部下からも他人からも叱られなくなる。そんな中、土俵を変えて違う世間を垣間見るのも良い勉強になる。

人材派遣会社で働いていた時も感じていたことだが、

『楽な仕事なんてひとつもない』

こういうことに気付かされる時間でもある。

 

~Fin~

 

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【2025宅建合格】昨年の今頃、アタシは20点でした。

2025年秋、アタシは初学・独学・1400円という低コスパで宅地建物取引士資格試験に合格した。

以下は、その奮闘ぶりをブログに書いたのでよかったらどうぞ。

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さて、今年の宅建士の資格試験は10月18日。すでに試験申し込みは始まっており、オンラインでは7月末日で締め切られる。

実は昨年の今頃、アタシは試験を受けようかどうか迷っていた。1年前の7月時点で、50点満点中20点前後くらいをウロチョロする成績で、とてもじゃないが合格できるようなレベルではなかった。(というか、この時点で過去問を時間内に解けないというヤバさだった)

不合格間違いなしなのに、受験料8200円(も)出費するのだ。申し込まなかったらそこで終了。もう勉強から解放されるのだ。でもせっかく2月から独学したのに水のアワか…。

…ええい、ままよ!キヨブタだ、申し込むゼ!と半ば勢いでポチってしまった。(しかも申し込み最終日に)

そこからは腹をくくった。8200円がもったいない。絶対合格してやるう。←(こうなると動機が不純)

あとは、過去ブログに書いた通りガムシャラ勉強した。こんなに計画的に勉強したのは生まれて初めてだ。

そこから試験前日までは、平日は2~3時間勉強した。休日は7・8時間以上やった。酒・娯楽はやめた。会社以外の俗世間からは全てを断った。するとアホなりに直前には40点近くまで取れるようになる。

そんな中、Xなどでいろんな情報が目に入ってくる。

・この間のナントカ学校の模試試験で40点越えたぜ。

・テキストをナントカというのに変えたら点数が爆上りした。

・昨日、酒飲んで勉強しなかったけど、余裕っス。

・ナンチャラ先生の覚え歌が素晴らしいから覚えた方がいいよ。

・やっぱりスタバ勉強は頭に入るねぇ、とか。

まずSNSを見るのをやめなはれ。10人中2人の合格者になりたければ、その時間は勉強しなはれ。

 

この秋、宅建士資格試験を受験する方は、

不動産会社に内定をもらっている学生。

不動産会社にこの春入社して、今年なんとしても合格せねばならない新社会人。

転職を考えているが不動産業界なんて全く知らん、という方。

法学部に在籍しているけど、法律関連で受験してみようかなーと試みる大学生。

いろんな事情がある人だと思う。どなたにしても、カンタンには合格は出来ませんよ。一時期、初学2週間で合格しました!という人がSNSでクローズアップされていたが、そんな人はレア。ツチノコくらいに都市伝説だと思ったほうがいい。

資格試験に対して、ハードルを上げるわけではないが、SNS上ではあまりにもカンタンに取れるかのような書き方が多いので油断せずに勉強しよう。

とまあ、偉そうなことを書いているが、昨年の今頃のアタシは50点満点で20点前後をウロウロしていたボンクラである。でも受験料8200円はきっちり回収できているのだ。

・・・というか、この記事を読んでいる時間が一番もったいない。

すぐにブログを閉じて勉強しなはれやー。

~Fin~

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【オトコ禁制】オンナの舞台を降りた日(現役のオンナの皆さんへ)

オトコ禁制、という令和の現代には向かないタイトルで申し訳ないが・・・、

というこの文章を読んでいるオトコのあなた!この禁を破りましたね。

まあ良いでしょう。

この扉を開けたからには最後まで付き合ってもらいますよ。

 

さて、50をとうに超えているアタシ。

無事に「オンナの舞台」を降りました。

オンナとしての「現役」を降りたということ。

いわゆる更年期と呼ばれる時期にガッツリ入っているということだ。

※更年期:閉経を境に前後5年(約10年間)

アタシなりに「舞台」を肉体的なものと精神的なものの2つに分けてみた。

※アタシは専門家でも何でもないので、体感と私見で語らせてもらうので悪しからず。

 

【肉体的な舞台を降りるとは】

要するに、卵巣の活動が永久に停止したということ。閉経だ。

アタシは、それを卒業した。人によってはオンナではなくなったという事にショックを受けるらしいが、アタシは正直言って清々した。若い頃から毎月のお出ましが煩わしかった。

閉経期には色々な障害が起こるという。この「更年期障害」は、それぞれに違った症状があり個人差があると言われている。

その中に、ホットフラッシュという代表的な症状がある。急に身体が火照り、汗がそれこそ滝のように流れ出るという症状だ。ちなみにアタシは、ホットフラッシュより冷え症の方が強いからか症状が全くない。

同じ年頃の友人は、この更年期障害で結構苦労している人が多い。身体がだるく重い。心ノ臓がバクバクする。めまい、ふらつき。頭痛が続く。etc...

有難いことに、アタシはこういった更年期障害の症状が現在もほぼない。

子供を産んだことがない未産婦のアタシと、経産婦との違いで差が出ているのだろうか?

アタシは40代後半から筋トレと軽いジョギングを習慣にしている。そして納豆を20年近く、毎日食している。(納豆などの豆類はエストロゲンというホルモンの代替になるらしい。知らんけど)更に就寝時、冷え防止の腹巻は忘れない。

もし、この行為がアタシの更年期の症状が緩和されている要因ならば、現役のオンナの皆さんに早めにコレらをやっていた方がいい、と言いたい。運動食事冷え対策だ。

 

【精神的に舞台を降りるとは】

巷では、クソガキ若いオトコが、オラオラとイキっているのを見ることがある。それってオスとしての強さを周りのオスに見せつけているのではないか、と思う。

若いオンナも他のメスに対して同じようなことをしている。

例えば、スタイルが良くなりたい、素敵なファッションに身を包みたい、メイクをして美しくなりたいと思うわけだが、それってオスに対するアピールよりも、他のメスに対してのマウントの方が強いのではないかと思う。「見てみて!アタシって綺麗でしょ?」「こんなブランドバッグ持っているのぅ」、エッヘン!的な。

もちろん、それが悪いと言っているわけじゃない。

クジャクのオスは羽を広げるし、ライオンはたてがみを誇る。ヒトも結局は元サルだ。動物とおなじようにマウントするはずだ。

若い頃のアタシだって同じだった。

痩せたい。可愛く見られたい。若く見られたい。そんなことばかり考えていた。

美容院へ行けば、流行りに乗り、新しい服を買えば誰かに見せびらかしたかった。ブランド物を持てば、小鼻がブフーと膨らんだ。

全部、全部、オンナとして舞台の真ん中に立っていたからだ。

・・・が、しかしですよ。ある日、ふと気づいた。

「もう、どうでもいいかも・・・」

この「どうでもいい」は投げやりじゃないのだ。

なんというか、むしろ解放だ。

進撃の巨人のエレンが「自由だ」と言ったのと同じ感覚なのだ。

30代のころ、キラキラした20代のオンナに対して「負けたくない」と思った。

40代になれば、30代のオンナに。

そして50代になったとたん、その変化が起こり始めた。

若いオンナが隣を歩いていても、全っ然張り合う気にならない。嫉妬しなくなるのだ。

面白いもので、オンナとして戦うことをやめたら、人を見る目まで変わった。若いオトコを見ても、ときめくというより「ちゃんとご飯食べている?」なんて親戚のおばちゃん目線になってしまった。

サッカーワールドカップを見ていても、代表選手のお母さんらは、この試合を涙ながらに見ているだろうなとか。

これが精神的に舞台を降りた、ということなのだろう。

だからといって、メイクもしないわけじゃないし、美容院にも行く。オシャレではなく、「身だしなみ」になっただけのこと。

昔は「誰かに良く見られたい」だったが、今は「自分さえ良ければ」ってこと。

この違いはものすごく大きいと思う。他人の評価が主役じゃなく、自分が主役になったのだ。

ようやく人生の主導権を自分にもらったような感覚だ。

 

現役のオンナの皆さんへ。

今はまだ信じられないかもしれない。

「若さを失うなんて」「女じゃなくなるなんて」そう思っている人もいるだろう。

でもアタシは言いたい。

案外、悪くないっすよ。いや、むしろ楽だ。

毎月の生理に振り回されない。恋愛市場で戦わなくてもいい。他人と比べなくてもいい。

「オンナ」という役を、一生懸命演じなくてもいいんだ。

人生って、舞台を降りたら終わりではない。第二章が始まるだけなのだ。

オンナとしての舞台を降りたら、一人の「ニンゲン」としての舞台が始まる。

アタシは今、こっちの方がずっと面白い!

ささ、早くこちら側へおいで。

 

~Fin~

 

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20年も募金しているのに、いまだ半信半疑な件

ある日、1通の郵便が届いた。差出人はunicef。

「20年も募金してくれてありがとね」というお礼のお手紙だった。その中には、感謝状と支援を受けた子供たちのフォトブックも入っていた。

 

アタシが募金しているのは「公益財団法人日本ユニセフ協会」という団体だ。場所は東京都港区高輪にある。

ニューヨークにある国連のunicef(国連児童基金)との関係性はなんやねん?という疑問がある。NYにあるのはunicefの本部であって、日本ユニセフ協会は国連機関そのものではない。あくまでも日本の公益財団法人である。

ザックリ言うと「国連のunicefの一部ではないけれど、unicefを日本で代表して活動する公式パートナー」ということだ。

募金のきっかけは、unicefのテレビコマーシャルである。瘦せているのに、腹だけはぷっくりと膨らんでいる黒い肌の子供、鼻にチューブをつけ診察を受けている子供、赤茶けた泥沼から水を汲みそれを飲む子供。…この光景は、アタシがまだ小学生の頃に見たものとちっとも変っていない。何十年もこの状況を救えていないではないか!大人たちは何しとんねん。大人?それはアタシ自身も含まれているのだ。しかしながら「さあ今日からこの子供たちを救うゾっ」と、イキってみてもどうにもならんワケで。

というワケで、少しではあるが継続して支援していこうと思い立ったのだ。

アタシが募金しているのは、月々2000円のマンスリーサポートプログラムだ。口座から自動引き落としになっており、ストップをかけない限り募金は続く。計算すると¥2000×12か月×20年=48万円 自分でもちょっと驚いた。塵もかなり積もったもんだ。

国連児童基金の使い道は、主に飢餓に苦しむ子どもに栄養を届ける、学校に通えない子どもに教育を提供する、ワクチン接種を支援する、戦争や災害で困っている子どもを助ける、という活動に使われる。例えば、10,000円で栄養治療食192袋分、30,000円ではしかワクチン40回分と公表している。

もちろん、これには募金を集める活動や広報、組織の運営にも使われているはずだ。え?怪しくないか?と思われるだろうし、アタシも正直、20年経っても怪しいと思っている。本当にすべてが理想どおりに使われているのか?毎年、収支報告書が送られて来るので納得はしているが、全部を信じているわけではない。ただ、月2000円のうち、いくらかでも子供たちに使われていればそれで良し、という心持ちでいる。このような活動をする窓口は必要なのだというあきらめもある。

20年前というと、ライブドアの元社長 ホリエモンが逮捕された頃。世界では、ブッシュ大統領の指揮のもと、サダム・フセインが死刑になった頃でもある。そして、当時30代のアタシは、大阪の梅田を拠点にバリバリ働くキャリアウーマン(←ウソ)だった。

その後20年間、世の中もアタシも色々と紆余曲折の連続であった。順調な時期もあれば、苦しい無職の時代もあった。それでもこのマンスリーサポートはなぜだか止めなかったし、これからも続くだろう。

理由は一つだけではない。誰かの役に立ちたいという気持ち、イイヒトでありたいという自己満足の気持ち、他人に対しての見栄や自慢、美しい理由だけではない色々な感情のもと、コレをやっている。

そう、決してアタシは良い人ではないのだ。

そして今月もまた、口座から2000円が引き落とされるのである。

 

~Fin~

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【母の日 2026】89歳のプライド

母は89歳、女性の平均寿命が87歳というから長生きしてくれている。有難い。

母は、昔から真面目で実直で一本気で、曲がったことが大嫌いな人だった。アタシは思春期のころ、そんな母が疎ましかった。ガチガチの母から逃れたかった。そして社会人となり、すぐ家を出た。独り立ちして暫くしてから、母の教えが正しかったことに気付かされた。

この大型連休に帰省した。正月以来5カ月ぶりだ。帰省するたびに気付く。母の認知症の進行を。

教えたことを覚えられない。毎食の薬を飲んだかどうか分からなくなる。同じ話を何度も繰り返す。云々…

そういう変化見て、アタシは口惜しくなり、また情けなくなり、物忘れする母にあたってしまう。「お母さん!あんなにしっかりしていたじゃないかッ!」…

久しぶりの親子の対話でも、同じ話を繰り返す母を見てイライラを止められないアタシ。母に対して、キツい言葉を発してしまう。(アタシは悪魔だ)

そんな中、母の腰のあたりから臭いがするのに気付いた。ウンコの臭いがした。母にその旨伝えると、少し恥ずかしそうにしている。もしかしたら踏ん張りが効かず、少し漏らしたのかもしれない。

すぐにお風呂に入りあがって来ると、母は物凄い剣幕で、「何も漏らしていなかった!失礼なことを言わんで!」と言う。(後で調べると高齢者にはそういう体臭がすることがあるという)

母は「あんたは言葉がキツい!人に対してそういう態度ではダメだ!」と言う。アタシが思う以上に、母はプライドを傷つけられたのだろう。本当に申し訳なく思った。物凄い剣幕でアタシを叱る母に、父は「そんなにまで言うな」と母をたしなめる。「いいや!親だから言わんといかんの!!」

こんなに叱られたのは何十年ぶりだろうか。

50を過ぎると、会社の人からも、友人からも、ましてや他人からも「それは違うよ」と言われなくなる。そして自分の経験と常識が絶対だと思ってしまう。そんなおごり高ぶったアタシを叱り付け、真剣に怒ってくれる人はもう親だけなのだ。

認知症になって忘れていくものは確かに増えた。
けれど、89歳の母はまだ“母親”を忘れていない。

親は、老いて小さくなり弱っていく。
だからいつの間にか、こちらが“正す側”になった気でいる。
でも本当は、何年経っても最後まで親に育てられているのは、子どもの方だ。

今日は母の日。
母へはプレゼントも花も渡せていない。
逆に、今回の帰省でアタシは母から大事なものを貰った気がする。

貰った89歳の母の教えは、50を過ぎたアタシのどんな理屈より、ずっとずっと真っ直ぐだった。

 

連休最終日、アタシは帰り際、母に「気をつけて行きぃよ」と言われた。
その言い方は、子供のころ学校へ行く時と全く同じだった。

~Fin~

 

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あの夏、あなたの胸に飛び込んだなら、今ごろアタシは中国人だった。

アタシは、結婚も出産もしたことがない現役の独身だ。

なにせ他人と一緒に暮らせない。同棲していた時期はあるが、下から自宅マンションを見上げ灯りが点いていると「いるのか...」と、途轍もないストレスが襲った。人の気配が苦痛だった。

お付き合いした人は何人かいた。しかし、「恋愛をしなくてはいけない」という周囲の感覚に呑まれていただけで、恋とか愛とかの感情はなかったように思う。どうやらアタシは人を好きにならないタチのようだ。

そんな人間嫌いのアタシは、熱烈な恋愛を1度だけ経験している。

時は1992年、「景気があーだこーだ」「バブルがどうの」と、マスコミや世のオヤジ達がそれこそアワアワしていたあの頃。アタシは20代前半でまだ小娘の匂いが残る若さがあった。(遠い目・・・) 

アワは弾けたものの、当時はまだ好景気の名残があった。高級車や高級ブランド品を持っているとモテるとか、ステータスである、という風潮がまだまだあった。恋愛においては「3K(高学歴・高収入・高身長)」という言葉も流行った。

しがない街の歯科医院に勤める当時のアタシも、海外旅行に行ってブランド品を買うという流行に乗っかってみたいワカモノの一人だった。ただし、「ルイ・ヴィトンをフランスの本店で買うぜ!」という財力はなく、香港や韓国あたりで価格が安い型落ちの小さい財布を買うというレベルの小市民であった。

そんなわけで、その夏、アタシは生まれて初めての海外旅行に行くことになった。香港・マカオ3泊4日である。

さっそくアタシは、友人とパックツアーに申し込んだ。それは日本から添乗員はつかず、現地ガイドが空港で客を引き受けるタイプのツアーだ。香港の空港というと、当時は「世界で一番危険な空港」と言われた、啓徳(カイタック)空港である。このあたりのウンチクを書くと話が長くなるのでやめておくが、とにかく着陸の際になんだか機内に変な緊張感があったのは覚えている。

さて、啓徳空港で待ち受ける現地のツアー会社のガイドは、周さんという26歳~27歳の優しい雰囲気を持つ男前だった。(この頃はまだイケメンという言葉はない) 同じアジア圏なので、ほとんど日本人と見た目は変わらない。

ストーーーーーーーーン。

落ちた。

ひと目見るなり、恋に落ちた…。

地球の生物の中で、一目惚れという感情があるのは「ヒト科ヒト属のヒト」だけであろう。いや、ヒトに近い猿もそういう感情はあるのだろうか?ということは、アタシは猿なのか?あの瞬間、猿のようにアタシは変なホルモンをどこからか排出していたに違いない。口は半開き、目は周さんに釘付け、その瞳孔は♡の形をしていたはずだ。少女漫画雑誌りぼん・マーガレット・ぶ~けの世界である。

そういう一目惚れの状態のまま旅が始まった。

恋は盲目と言ったもんだ。アタシは、観光地の案内をする彼を自然と目が追う。そして周さんのタドタドしい日本語で話しかけられると胸がギュっと掴まれる感覚になる。周さんは、アタシらお客に優しく笑いかける。それがビジネススマイルだとしても昇天した。アタシはどちらかというと、あまり感情を表に出さないタイプだ。なのに、この時ばかりは「わっかりやす!」と、同行していた友人はそんなアタシに慄き、そして呆れた。

しかしですよ、こんなに恋の炎がメラメラ燃え上がっていても相手は外国人。それよりも何よりも、アタシはあと4日で帰国するのですよ。もうどうしようもなく周さんを想うと涙がホロホロホロホロ流れて来る。もう頭がハゲるくらいに悩んだ。今だから言えるが、アタシは本気で香港に居残ろうと思った。いやマジで。(即逮捕)

そんなアタシを見て、同行した友人は半笑いしながら、「思い出を作ったら?」と助言してくれた。

 

──「思い出を作ったら?」
その一言は、背中を軽く押すというより、崖から足で蹴落とすような響きだった。

1000万ドルのネオンが瞬く香港の街で、アタシは柄にもなく大胆になった。観光からホテルに戻る途中、団体から少し遅れて歩き周さんに話しかけた。「現地の人が行くようなレストランに行きたい」と周さんに案内をお願いした。
そう言うと、周さんは少し照れたように笑い(絶対気のせい)、じゃあ同僚も連れて行くので4人で行こうという話になった。

その夜、アタシたちはほんの少しだけ、ツアー客とガイドという関係からはみ出した。食事の後、夜景の見える場所で立ち止まり、他愛もない話をした。彼は家族のことを、アタシは日本での仕事のことを話した。どちらも拙い言葉で、でもアタシはメチャクチャ真剣に。

時々沈黙がある。その沈黙の中で、アタシは思った。
「この人のこと、本当に好きなんだ」と。

でも同時にわかっていた。この旅が終われば、全部終わるってことも。

最終日、空港へ向かうバスの中、周さんはいつも通りのガイドの顔で他の客に笑いかけていた。

啓徳空港に着き、別れの時間が来た。

「ありがとうございました」周さんはそう言って、あの優しい笑顔を向けた。
アタシも「ありがとう」と返したけれど、それ以上の言葉はどうしても出てこなかった。

「好きです、香港に残ってもいいですか」、なんて言ったらぶっ飛んだだろうな。

ただの客として、アタシはそこにポツンと立っていた。最後に軽く手を振って、列に並ぶ。振り返ると、周さんはもう次の客の方を向いていた。

その瞬間、涙がホロホロホロホロと流れて来て、離陸する前なのに飛行機酔いのように苦しかった。

飛行機の窓から見た香港の街は、小さくて遠かった。
あんなに近くにいたはずの周さんとその思い出も、もう手の届かない場所にあるのだ。

結局、アタシは香港に残らなかったし、周さんと連絡を取ることもなかった。
熱い想いは、あの時のスーツケースの中に「思い出」としてしまい込まれた。

 

...それから数年後、香港はイギリスから中国へ返還されることになる。もしあの時、周さんと結婚していたのなら、アタシは今ごろ中国人となっていたのである。

これがアタシの人生において、最初で最後の大恋愛だ。

~Fin~

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年末、親父が死にかけてドタバタの巻~🌀

2025年12月21日、11時21分頃、母親からの一報があった。

「お父さんが餅を喉に詰まらせて救急車で運ばれた」

年末恒例、公民館の餅つき会での出来事。

この日は例年より気温が高くポカポカ陽気の日曜日だった。のほほーんとした空気感が一変し天地がひっくり返った感覚だ。

父は、昭和9年生まれの満91歳。背筋はピンとしており、マンガに出て来るようなヨボヨボの爺さんという感じではない。ガンコな頭もしっかりしている。よく高齢者は食が細くなるというが、そんなことはなく朝からご飯をおかわりするような達者な爺さんだ。恐らく100歳まで生きてくれるであろうと信じ切っていた。

そんな父が餅を喉に詰まらせた…。

人は呼吸が出来なくなってから5分もすれば救命が難しくなるらしい。10分もすれば脳に酸素が回らず死に至るか重大な後遺症が残る。救急車を即刻呼んだとしても、田舎の公民館から救急病院まで20分は掛かる。

「死」の文字が浮かんだ。

この世で一番短い言葉で、一番の恐怖を与え、最も悲しい言葉だ。

こんなに急にお別れがくるものなのか?

「え?え?え?親が死ぬときって、寝ている枕元で手を握りしめて泣いてお別れするんだよね?ありがとう、ありがとうって言ってお別れするんだよね?え?臨終に立ち合えないってこと?」アタシの家から実家までは特急で小一時間、更に車で30分は掛かる道のりだ。

アタシは、泣きながら祈った。「こ、こんな死に方しないで!!もっといい死に方して!!」←(混乱している)

食べ物を喉に詰まらせて死亡する人は、この国では1年に4000人ほどいるらしい。結構な数だ。

父はその中の一人になるのか...。

急遽、救急病院に駆け付けた兄に電話しても出ない。母も甥っ子も誰も電話に出ない。普段信仰心のないアタシは、自宅でオロオロと神仏に祈るだけだ。

 

急ぐ救急車のイラスト

そして12時06分、兄からの電話が鳴った。

「助かった・・・。」

父は、公民館に救急車が到着した時は意識がなかったが、運ばれている途中に意識が戻ったようだ。

その時の状況を聞くと、父は出来立てホヤホヤの餅を食べたが、噛む力と飲み込む力がない上、総入れ歯に餅がベタベタくっつくので食べずらかったらしい。はたまた水分を取らずに食べたもんだから案の上、喉に餅がはり付きその瞬間変なところ(気管)に入っていったらしい。父の異変に気が付いた周辺に、なんと!現役の看護師さんがたまたま子連れで参加していたらしく(しかも3人も!)、救急車が来るまでに救急処置をしてくれていた、という訳だ。なんという幸運だろうか!!

そう、父は昔から運が良かった。交通事故に2回も遭いながら後遺症もなく復帰した。そのまた昔、大工だった父は、屋根から落ちたがケガすることなく無事だった(この時は落ちる瞬間にフワっと浮いたと言っていた ホンマケ)

呼吸が止まっていた時間は8分ほどだったそうだが、意識が戻った後はわりと元気な様子。その日は大事をとって入院し次の日は退院した。しかも後遺症は残らず現在も元気だ。

父に意識がない状態とはどういう感じか聞いてみた。父曰く、その間はもちろん記憶はないし、普通に眠りから覚めたという感覚だったらしい。

そして「三途の川」や、先に逝った人たちの「おいでおいで」のお誘いもなかったそうだ。

どうやら、まだまだ長生きしそうである。

~fin~

 

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【宅建2025】中年女が1400円で宅建に合格した話

本日11月26日(水)宅地建物取引士の資格試験合格発表の日である。

今年の受験者24万5千人(合格者4万5千人)合格率18.7%

てなわけで、このアタクシ合格いたしました!初学で独学、しかもかかった費用1400円というコスパの良さで。

このタイミングで巷では、「この方法で合格しました!」的な承認欲求丸出しものが多く見受けられるが、ハイハイッそれにアタシも乗っかりまする。

この書き出しは本日付で書いているが、これ以降は試験当日(10月19日)から1か月かけて書いたものである。

もちろん不合格だった場合、1か月も時間を費やしたこのブログはお払い箱に保存され、日の目を見ることはなかったのである。(THE小心者)

 

《もくじ》

 

【基本情報】

  • 宅地建物取引士は国家資格
  • 合格率は例年15~18%
  • 受験科目:権利関係(民法など)・宅建業法・法令上の制限・税金関連、土地・建物など何やかんやいっぱい💧
  • 受験資格:なし(年齢・学歴・国籍・不動産実務経験も不要)

【試験勉強費用内訳】

  • 2021年度版 中古テキスト(初学者向け入門書の薄いヤツ)→ブックオフで200円
  • 2019年度版 中古問題集→ブックオフ200円
  • YouTube(無料チャンネル2つに厳選)→ 0円
  • 宅建学習サイト①(宅建試験ドットコム)→ 0円(課金なし)  
  • 宅建学習サイト②(幸せに宅建に合格する方法)→0円(課金なし)
  • 2024年度版 中古直前予想模試→ ブックオフ1000円 
  • ネット上の無料模試→ 0円

以上 合計1400円也 (受験料8200円別途)

 

【試験勉強スタート時】

・2025年2月試験勉強スタート 

・不動産に関する経験:なし 

・法律に関する経験:人材会社勤務の際、民法を少~しカジったことはあるが、他の法律は知識0

・知能:ほぼ高卒(最終学歴:医療系専門学校卒)

【試験勉強の方法】

事前に色々と調べたが、この資格試験は「権利(民法など)」と「宅建業法」がミソであることに行きついた。なにせ権利(民法など)で14点、宅建業法で20点、50点満点中34点もこの2科目で稼げるのだ!なので、この二つは徹底的に勉強した。そして他の科目も捨て問にはせず満遍なく勉強した。

 

《権利(民法など)》

試験勉強は「民法」からスタートした。なぜならば民法は「理解」することが重要だからだ。実際に過去の試験問題を読んでみると、コリャ暗記だけでは太刀打ちできんと睨んだ。初学者で、しかもボンクラのアタシには理解するまで相当な時間かかると思ったからだ。正直、半年でなんとか出来るとは思えない。

取り敢えず、200円で購入した中古の初心者向け入門書と供に、民法に特化したYouTube無料動画(郷原豊茂のごーちゃんねる)を項目別で視聴する。このチャンネルの郷原氏は、資格学校の元講師で、初学のアタシには理解しやすかった。ちなみに、この200円中古テキストはあくまでも入門書なのでやはり情報料が全然少ない。なので、このチャンネルや問題集の解説で重要事項は、このテキストに書き込んだり付箋に記入して貼り付けた。そして動画の視聴後は速攻で問題を解く。問題集は200円中古問題集。更にその後、「宅建試験ドットコム」というサイトの一問一答をすかさず解き、なぜそうなるのか解説を熟読する。この宅建試験ドットコムの解説は「神」だ。解説の欄に民法の条文もリンクされており、このサイトはテキストの代わりに使えた。サイト管理者に申し訳ないが、課金なしで充分役に立った。

テキスト読む→動画を見る→問題を解く、この繰り返しを毎日毎日毎日毎日毎日、やる。そうすると、あ~ら不思議、初学者でもイミフの民法が理解が深まる時がくるのである。正直、腑に落ちるまでこの作業は3か月はかかった。そりゃそうだ。

 

《宅建業法 他》

次に、最重要科目の「宅建業法」の勉強は、民法の「理解」というより「暗記」が重視される科目だ。しかも完璧に。アタシが購入した200円テキストは、何度も言うが入門書なのでいろはの「い」しか載っていない。よって宅建業法においてはテキストを、、、なっなんと!「自作」した。それも試験に出題率が高いAランクのところだけをピックアップしてノートに記入していく。過去問の解説で重要事項があれば、ノートにドンドン追加して記入していく。気が長い話かとお思いだろうが、意外と負担にはならなかった。土日にこの自作ノート作り、昼休みや帰宅後には過去問を解いてこのノートを見て復習する。これを全項目1周するのにだいたい2か月くらいかけた。Aランク事項をノートにまとめ、更に問題を解くので自然にアタマに入っていった。

その出題率が高いAランクの情報源はYouTubeである。宅建に関わるチャンネルはありがたいことにメチャクチャ多い!その中で選んだのは、「宅建一発合格@れくお」というチャンネル。このチャンネルはあまり有名ではないが、過去問の出題傾向が高いものばかりを説明してくれている。しかも動画のテンポがアタシに合っていた。

チャンネルを1回目はサクッと視聴して、2回目は一時停止して重要事項をノートに書き写す。そして、アタマが柔らかい内に問題を解く...というメッチャ面倒な作業をする。いやいや、これが案外頭に入ってくるのだよ。

まとめると、動画を視聴する→まあまあ理解する→もう一度視聴し一時停止しながら重要事項をノートに書き写す→理解度が高まる→速攻、問題を解く(ほほう、こういう問題の出し方なのかぁと思う)→間違えても解説を熟読し理解する。→記憶に残る!!

更にさらに、問題の解説に大切なことが書かれていれば自作ノートに書き足す。この繰り返し・・・メンドクサ、でしょうね。しかし、本来の「独学」とはこういう事をいうのではないだろうか。

そして、都市計画法、建築基準法などの「法令上の制限」、不動産取得税などの「税」、「土地・建物」においても、同じくこの方法でノートを作り、ひたすら過去問を解いた。

結果的に、この自作テキスト(ノート)に記入されたものは全部頭に入った。そしてこのノートは試験開始時間ギリギリまで常に持ちまわることになる。問題を解く際に「あのページのあの辺に書いてあるアレね」という風に、脳ミソにそのページがスクショされた状態までに至った。

【学習期間振り返り】

2月~7月までは、権利(民法など)・宅建業法・法令上の制限を集中して勉強。(ひたすら動画と自作テキスト作り+過去問を解く)

8月からやっと税、土地建物の暗記に入る。

9月は、過去の試験問題を毎日1年分(休日には2年分)ひたすら解き、解説を熟読する。

本番1ケ月前、試験に慣れるために、中古で買った2024年度版直前模試4回、ネットで拾った0円模試3種類を自宅で受ける。(資格の学校などで行われる有料の模試には参加していない。)

【かかった勉強時間】 

正直、計っていないので分からない。ただ今年2月からほぼ毎日机に向かっていたのと、直前期の休日は恐らく6~7時間は勉強していた。出勤の日も2時間は勉強時間を確保するように努めた。

そして8月頃~試験終了まで、仕事以外はほぼ世間と距離を置いていたと言っても過言ではない。会社から一目散に帰宅し、1時間で風呂と夕食を済ませ21時頃には机に向かう。この期間、酒や娯楽は完全に止めた。

【総括】

ネット情報で宅建の勉強時間は300時間~400時間、とか書いているのが見受けられる。それは若々しい脳ミソを持つ20代30代のことであり、アタシのような初学者で中年の脳ミソを持つ者は真に受けない方がいい。

中年の脳ミソは、若い頃と違ってどうしても記憶力が劣るし、理解するにも時間がかかる!最初に過去問を見た時、一文読むのに何を問われているのか理解するのに相当な苦労をした。しかし、それがですよ、毎日勉強しているうちに分かるようになれるのですよ。人間年を重ねても時間をかけ継続すれば、衰え始めた脳ミソも活性化されるもんだな~と少し自信が付いた。

【追記】

中古のテキストや問題集は、民法など条文が改正されている箇所があるので要注意だ。自己責任でお願いしたい。(てか真似しない方がいい)

そして巷には、アタシのように成功例を発する人がたくさんいるが、あくまでもその人に合った勉強の方法であり、万人向けではない事を改めて申し上げる。

初学者は、ちゃんとした最新版のテキストと問題集を購入し、または資格の学校に通学するのが早道なのかもしれない。アタシのように自力でテキストを作ったりするなんてアホでしょ?遠回りでしょ?でも結果、アタシにとってはこれが一番の方法だったのだ。

ちょっと昔は、何か調べるのに図書館に行くか本を購入するかしかなかった。その時代を知るアタシは、今はなんて恵まれているのだろうとつくづく思う。専門的なこともYouTubeや学習サイトで無料でアップしてくれるし(頼んでもいないのにw)、クリック一つで25年分の過去問が手に入る。いくらでも誰でも無料で勉強ができる時代だ。ありがた山である。

さて、無事に合格することができた。合格したら不動産会社に転職するという野望があったわけではない。ただ何らかの資格を取って、なんとなく今後の人生に自信を付けたかった。人生100年時代。オンナが独りで生きて行くためには、仕事は絶対必要だという目論見もあったりなんかする。

~Fin~

 

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腹イタ狂騒レポート✏️

それは、明日からお盆休みが始まろうとする金曜日午後3時頃、始まった・・・。

腹イタである。

アタシは、子供の頃からよく下痢をする。便通が良いのはありがたいが、週2・3回はユルユルだ。なのでトイレ掃除は毎回やらねばならんのでメンドクサイ。パーーッと散るため満遍なく汚れるのだ。

いや、そんなことぁどうでもいいのだが、その腹イタの事である。下痢によるいつのもヤツとちょっと毛色が違う痛み方だ。患部は自分から見て左腰骨とヘソを直線で結ぶ真ん中辺り。そこがピンポイントで痛いッ。痛みは時間とともに段々とその範囲が拡がっていく。うんこしても治らない。

明日は土曜日、今日中に病院へ行かねば!早退しよ。

痛みでひん曲がった顔を向け、上役に事情を話すと「何か変な物食べたんじゃ?うんこ出した?」と半笑いしながら早退の許可を出してくれる。今は屈辱より痛みが優先だ。

職場近くの病院へ駆け込もうかと思ったが、まずはかかりつけ医に行くのがセオリーだろう。職場から30分位かかる。電車の中でどんどん痛みが増す。その痛みの範囲も拡がっている。更に吐き気もしてきた。恐らく顔は真っ青だ。席正面の乗客は、アタシを見て目を丸くしている。

アタシ御用達のかかりつけ医は、60才代のおじいちゃんだ。超難関有名国立大出なのに、地元密着の昔ながらの町医者だ。看護師さんも昭和のドラマに出てくる「婦長さん」って感じ。あなたのその温かな手で患部を撫でるだけで病気は治るのでは?と思わせる雰囲気のある方だ。そんなドクター1名、看護師1名という町の小さな内科医院、最新の医療機材なんて無さそう。

さて、問診。 

いつから痛み出した?⇒ 前日も軽く同じような痛みがあったが、うんこしたら治った。今日も出したが治らない。昨日より酷く痛む。

今日はいつから?⇒1時間くらい前から。今、MAX痛い。痛い、痛いっす。

どんな痛み?⇒ピンポイントにズキズキっというか、下痢の時とは違う痛み(語彙力ゼロ)、吐き気もある。

血尿や血便は?⇒ありません。

その他、日ごろの便についてとか朝昼に食べた物とかを聞かれるが、取り立てて悪いものはない。

触診で患部を圧されたが、今アタシが感じている「腹イタ」以外の痛みはない。恐らく盲腸や腸捻転を疑っているようだ。しかし、血圧はいつもより高めだが正常範囲。血液検査でも体内に炎症があるような値は出ていないらしい。でもアタシは脂汗が出るほどの痛みがある。おじいちゃん、首を捻る。

「紹介状を書きましょう。タクシーで救急病院へ行ってください。」「はっ、はひ」

事務員さんから拾ってもらったタクシーが、なんと車体も内装も真っピンク。女性ドライバーも林家パー子並の全身ピンク色。話題性狙いで改造したであろう観光用タクシーに、こんな脂汗かいた腹イタ女を乗せるとはトホホな話だ。

https://frame-illust.com/fi/wp-content/uploads/2019/01/daityou-kenkou.png

さて、救命救急センター的な大病院へピンクのタクシーで到着。子供からは指を指され、大人は二度見している。しかし、アタシにはそんなのに構っていられない。とにかく腹が痛いのだ!

その大病院での担当医は、30歳前後の女医だった。マスクに覆われた顔は乃木坂にいるアイドルのようだ。そこでも同じような問診を受け、またもや血液検査のために血を抜かれる。

更に、学生のような医師に点滴を打たれたが、その注射針を刺す瞬間、「いち、にの、サン!」という、せーの!的な声が聴こえたのは、きっと腹イタによる幻聴だろう。(ちなみに後で点滴の薬名を調べたら生理的食塩水の類いだった)

問診→血液検査→結果判定まで冷房キンキンの待合室で痛みに耐えながら待つ。寒さか又は痛みによるものか知らんが身体が震えてくる。

1時間経過~

アイドル顔の女医から血液検査の結果、異常なし、身体からの炎症は見当たらないと告げられる。何故?こんなに痛いのに。

「CT撮って調べてみますか?」「何でもやってくださひ。」

「順番が来るまでお待ちください。」またまた冷房キンキンの待合室で待機。痛みより寒さの方が勝って来ている。

またまた1時間経過~

「では撮影室に案内します。」 

造影剤の副作用やらの説明を受け、よくテレビで見るドーム型の機材で撮影。腕を万歳する形で撮影するのだが、五十肩が治ってて良かったと余計なことを考える。

「診断結果までしばらくお待ちください。」と、またもやキンキンの待合室で待機。

この待ち時間にふと思った。もし癌を宣告されたらどうしようか?親よりも先に逝ってしまうのか。アタシの葬式に参列してくれる友人はいるのか?数人の顔が浮かんだが、しばらく連絡もしていない。いやそれよりも緊急入院となったら着替えをどうしようか?独り身のアタシには近くに身寄りがいない。さきほど浮かんだ友人達はアテにならない。入院中のアタシを世話してくれる人がいない・・・。あっ、それよりもお金の持ち合わせはあったか?慌てて財布を確認すると、まず現金を入れていない。ちょっとした買い物はICカードで払うのを常としているからだ。クレジットカードも自宅に置いたままだ・・・。CTっていくら掛かるの?そんなこんな考えていると時計は20時を回っていた。実は、この段階で痛みレベルはMAXの100からして20くらいまで下がって来ている。

「帰りたい...。」喉元過ぎれば熱さを忘れる。

またもや1時間経過~

輪切りにされたアタシの身体が映し出される。初めて見るアタシの腹黒さを物語る臓物たち。この中にミスコピーされた細胞の塊があるのか!?

アイドル顔の女医より告げられる。「何も異常は見つかりませんでしたよ。」「へ?」肺から胃、痛みがひどい箇所、子宮、膀胱と医師二人掛かりで診断してもらったようだか、炎症もおデキも何も見当たらず原因が全く分からないという。

女医:「最初に痛み出した時から今はどうですか?」

アタシ:「違和感はありますが、痛みはほぼ無くなりました。スミマセンお騒がせして」と、頭を掻く。「よくあることですよ笑」

そうか、よくあることか。しかし、しかしですよ。腹イタの発生から6時間は経過しているのだよ。鎮痛剤も飲まずに自力で治ったのだよ。検査時間より待ち時間の方が長かったのだよ。しかも待合室が、病的に、べらぼうに、震えるほどに寒かったのだよ。救急ってナニ...?

結局、あの猛烈な痛みはなんだったのか?あの大病院のアタシのカルテには、その診断結果はなんと書かれたのだろうか?「ストレス性のナンチャラ」とか「気のせい」とかだろうか?あれから1週間ほど経つが、あれ以来痛みは出ていない。

真面目な話、今回のことで思ったことがある。独身者は日頃の準備が必要だということ。もしもあのまま緊急入院になったら独りで対応ができない。着替えもお金の引き出しも、色々な手続きも。もちろん、救急だけでなく災害の時も然りだ。

ああ、久しぶりに長文を書くと片腹がイタくなってくる。

~Fin~

 

追記:病院の支払いは次の日に清算に行きました。

 

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【母の日 2025】切腹もんの懺悔

アタシは、半世紀ほど前に誕生した。帝王切開による出産だった。

3つ上の兄も帝王切開で生まれている。出産時の体重が4200gという大きさであった為、身長141センチの小柄な母にとって、その巨大児の出産は経腟分娩では耐えられなかったらしい。その次のアタシも3980g。このアタシも帝王切開で出産する必要があった。腹の皮ふと子宮壁を1度でも切開すると、次の出産で破裂する危険性があるからだ。

なので、母の腹は2回も切開された。  

子供のころ、母と風呂に入りながら、その古傷を人差し指で撫でた。

それはケロイドのような縦1本傷で、その左右にてん・てん・てんと縫合された痕があった。半世紀前の産科医療がどれだけ発達していたのか知らないが、それはまさに手術しました!というような生ナマしさがあった。痛かった?どんだけ痛かった?と何度何度も聞いたが、いつも母は「もう忘れた」と、まともに答えなかった。きっと忘れたではなく、気絶するくらいの痛みだったに違いない。そうやってアタシら兄妹を産んでくれたのだ。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/D/Dokujyolife/20250510/20250510225407.png

この連休、帰省した。88歳になった母はヨボヨボだった。

アタシは、帰省するたびに自己嫌悪に襲われる。母が望んでいた結婚もせず、子も産まなかった独り身のアタシ。街で一人気ままに暮らし、母の老いに目を向けず、自分のためだけに過ごす日々。そして帰省すると現実に引き戻される。少し痴呆気味で、飲んでいる薬の袋に書かれていることがすぐに理解できなくなっていた。人の言葉がスッと頭に入って来ず、耳も遠くなり会話をするにも億劫なようだ。少しずつ、少しずつ痴呆が母を蝕む。

あんなに痛い思いをした母は、このバカ娘を産んで幸せと感じてくれていたのだろうか?期待通りに育たなかったこのバカ娘をどう愛そうとしてくれたのだろうか。

母を幸せにできなかったこのバカ娘こそ、切腹もんだ。

 

お母さん、まだ逝かないで。アタシのお母さんでいて。

もう少しだけ、もう少しだけ・・・

 

~Fin~

 

 

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【奇怪】実家の裏側から流れてくるモノ

子供の頃から奇妙な体験をしていたアタシ。

テーブルにあったボールペンが独りでに空中で一回転した、とか。寝ていたら布団の中にファルコンのような白いヘビらしきモノが入って来た、とか。 独身で一人暮らしなのになんだか同居者がいるっぽい、とか。ベッドで寝ていたら飼ってもいないネコがポーンと飛び乗って来た、とか。自分の身体から脱け出て、隣の県にある実家の2階の窓の外に浮かんでいた、とか。イロイロ。

但し、霊をまともに見たとか、そういう身も凍る恐怖体験というわけではない。ちょっとした不思議、という感じ。

正月、実家に帰省した時の話。

アタシは帰省した時は、2階の1室を与えられそこに寝ている。廊下を挟んだ前には甥っ子の部屋がある。その日、甥っ子は初詣に行くので朝方に帰ると言って外出していた。夜、アタシは2階の部屋で動画三昧。そのうち、階段をトントントンと上がってくる音がして、甥の部屋のドアを開け「バタン」と閉まる音がした。おや?早い帰宅やね、と声を掛けようと、アタシは正面の甥っ子の部屋を訪ねた。が、部屋に電気が点いていない。ん?どした?ドアを開けたが、誰もいなかった・・・、という程度の話だが、こういった「???」という、なんか変な体験をする。甥の部屋の中がオドロオドロしいとかそんなものを感じることもない。

ちなみに母も変なモノを見ている。夜に勝手口から外に出た時、火の玉がフワリフワリ、スーーーーっと、裏山に向かって飛んで行ったという。

実家の裏側は、小高い山になっている。5分ほど登るとすぐ頂上になり、すぐ向こう側に下る斜面へと続く。その斜面を下った先には、「炭鉱跡」がある。炭鉱というと有名なのは、石狩・常磐・三井三池炭鉱、最近では端島(軍艦島)は観光スポットだ。日本には大小数多くの炭鉱があり、現在はほとんどが閉山となっている。その「炭鉱」であるが、なかなかの過酷な環境だったらしい。石炭の粉塵で肺の疾患で亡くなる人が多い上、更に落盤事故でたくさんの労働者が亡くなったという。実家の裏の元炭鉱も例外ではなかったようだ。

アタシが子供の頃、父と母が続けて交通事故に遭った。これは何かあるのではと霊能者で有名なあるお寺の住職に相談に行ったという。その時に言われたのが、この「炭鉱」から実家の方へよくないモノが流れてきていると言われたそうだ。要するに霊魂の通り道ということだ。

確かにアタシは子供の頃、この裏山の向こう側になんとも言えない気持ちの悪さを感じていた。裏山の途中までは登って行けるが、ここから先は立ち入ってはいけない変なグロさというか...。

 

父と母の交通事故。

アタシと兄との兄妹喧嘩と12年もの確執。

火の玉

アタシの周りに起こる奇妙な出来事。

よくないモノ、それは今も流れて来ているのだろうか。

~Fin~

 

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Once Upon a Time in 田舎~いなかのじけん~

「田舎と都会」のラインは何なのか知らないが、アタシの実家は間違いなく「ド田舎」にあった。子供の頃に住んでいたのは、田舎の象徴、ボットン便所がある家屋だった。家の周辺は雑木林が繁り、謎の鳥が「ギャー、ギャッギャッ」と原始時代を思わせるように鳴いていた。

道を歩く人達は知り合いばかりで、知らない人がいると注目の的だ。そういう「ド田舎」の家々は、玄関の鍵を掛けずに出掛ける。ご近所の目が光っており、泥棒はウロチョロしずらい環境だった。

 

さて、アタシが子供の頃、近所に一歳年上のユウコちゃんという子がいた。学校が終わったら、お互いの家でママごとやリカちゃん人形で毎日のように遊んだ。

ユウコちゃんのお父さんは自営業で金持ちだった。家は門構えから次元が違う造りだ。しかし、子供は大人の懐なんて関係ない。一緒に遊べる相手はオトモダチなのだ。

当時、アタシが大事に大事にコレクションしていた物がある。それは、少女漫画「りぼん」の付録だ。可愛い便箋や封筒、小物入れ、人気キャラのシールなど。それらは絶対に使わず、蕎麦ぼうろの缶の箱に収集していた。時々、お宝を取り出しニンマリとするのが楽しみだった。

もちろんユウコちゃんにも見せびらかした。金持ちユウコちゃんにこのチャッチイお宝はどう映ったのだろう。 

そんなある日、いつも通りお宝を拝んでいると、いくつか減っていることに気付いた。あれ?キノコ♡キノコのシールがない!兄に訊いても、そんなもん知るか、と言う。そりゃそうだ。う~ん。

数日後、

睦奥A子のノートがない!田渕由美子のレターセットがない!!

なんか、徐々になくなっていってる...?

 

ある日、学校から帰宅すると、誰もいるはずがない我が家にユウコちゃんがいた。え?なんで??と思いながら戸惑っていると、ユウコちゃんは「お留守番していた」と言いながら、そそくさと帰って行く。それは、ほんの一瞬チッ!という顔で、いつものオトモダチね~、の雰囲気ではない。アタシも何故だか見てはいけないものを見てしまったと思った。

そして、机の引き出しに仕舞っていたはずの蕎麦ぼうろのお宝箱が、蓋が開いたまま机の上にある。そう、ユウコちゃんがお宝を盗っていたのだ。

母に聞いてもお留守番なんて頼んでいないと言う。事情を話すと母が目を細め「あんた、そのこと黙っとき」とポツリ言った。

それからは、ユウコちゃんと遊ばなくなった。子供ゴコロにも気まずさがあったし、ユウコちゃんが習い事を始め忙しくなったのもある。

金持ちの家なのにユウコちゃんの手がお宝に伸びたのは何故か?今でいう「心の病」だったのか。母が「黙っとき」と言った意味がなんとなく理解出来たのは、少し大人になってからだ。

その件以来、アタシの家に「玄関の鍵を掛ける」という新たな習慣が始まった。

~Fin~

 

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【実録】中年からの審美歯科(歯列矯正とセラミック歯でキレイになれるのか)

アタシは「元」歯科衛生士。

当時「あなた職業柄、きっと歯はキレイなのでしょうねぇ」と、何回も言われた。

ンなこたーない。オンギャーと生まれて歯科衛生士になるまでは歯科の知識なんてなかったのだ。

子供の頃、ミルキーを口に入れたままヨダレを垂らして寝ていたし。

なので、現在も臼歯の部分は全部詰め物が入っている。そして片方に八重歯があって上顎の歯列はガッタガタだった。

それにより、添乗員を生業としていた頃、海外では恥ずかしくて思いっきり笑えなかった。外国において歯並びは「その人の育ち」を見られるからだ。なので八重歯や歯列の悪さが超超コンプレックスだった。

という訳で、そのコンプレックスをなくしたろうと、歯列矯正を決心したのは中年になってからだ。


ちょいと専門的な話だが、歯には番号が付いている。前歯の中心から奥歯に向けて1番2番3番...と数える。ちなみに中心から数えて3番目は犬歯、いちばん奥の歯は7番になる。(親知らずは8番)

アタシは2番が通常の歯列より奥(後ろ)に生えており、3番(犬歯)が生えるスペースがなく前の方に突出してしまい八重歯となってしまった。

 

さて、歯科医師と綿密なカウンセリングを行い納得するまで説明を受けた。

アタシは、審美性も求めたので左右3番~3番まで矯正し、セラミックによる被せ物もお願いした。

矯正にかかった期間、約1年ちょい。

ワイヤー矯正治療費用、自費(保険外)10万円!

前歯の被せ物(セラミック)自費(保険外)  1本10万円✕6本!

その他モロモロ、トータル80万円近くかかっている。

※美容歯科ではなく、一般歯科での料金(自費治療につき地域差あり)

タイトルの、中年が「歯列矯正とセラミック歯でキレイになれるのか」だが、

結果を言うと「なれた」。(基本的な美醜は別として) 人前で口を隠すことなく思いっきり笑うことが出来る。コンプレックス解消だ。ついでに、ほうれい線も消えるという副作用もあった。(おそらく、八重歯があった方の顔の筋肉が、歯に引っ掛かってうまく使えていなかったのではないだろうか?知らんけど)

80万円はかかったのだ。元は取った!!(と思いたい)

 

もしこのブログを読んで、自分もやってみようか、と思った方へ申し上げるが、やるには覚悟が必要だ。費用とか時間の問題ではない。

どれだけ事後メンテナンスをしっかりやれるか、という覚悟である。

メンテナンス=口腔内のお手入れのこと。歯磨きは毎食後やっているという方でも、もっと細かいお手入れが必要だ。

昭和の昔、歯磨きは3分はやりましょうと言われていたが、それだけでは全然足りない。

40オーバーの方、えのき茸とかワカメとか歯に挟まりませんか?

それは、中年になったら歯ぐきが瘦せる(退縮する)から。なので挟まった部分から虫歯や歯槽膿漏になってしまう。それに加えて補綴物を被せると、歯垢が溜まりやすくなる。だから通常の歯磨きのみではお手入れ不足になる。

僭越ながら、アタシの歯のお手入れ法をお伝えしよう。

まず「スクラッピング法」という歯磨きの方法で10分は時間をかけて磨く。(※強い力で磨いてはダメ) その後デンタルフロス、歯間ブラシ、更にタフトブラシというミニ歯ブラシでお手入れをしている。就寝前はトータル20分はかかる。

ちなみに朝・昼のお手入れは、夜よりも短め。歯磨きは5分+デンタルフロス+歯間ブラシは必須で、それでもトータル10分は必要。

 

歯列ガッタガタというコンプレックスはなくなった!セラミックも被せて歯が白くなった!人生が豊かになった!満足満足~♪、と浮足立ってはいけない! 

これをどれくらいの期間維持できるか、そしてそれを保つための覚悟があるのか。

やるかやらないかは、あなた次第・・・。 

 

~Fin~

 

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2年ぶり2回目のアレ。【その2】

髪の毛は、1か月に1cm伸びるという。

ジョギングをしているからか、納豆を毎日食べているからか知らんが、どうもアタシの場合は平均より伸びるのが早いようだ。1か月で1.5cm近く伸びているような気がする。(ちなみに爪の伸びも早い)
毛染め(根元染め)をおおよそ1か月半に1度しているが、根元部分を見ると2cmくらいは伸びているのが分かる。だいたい3か月で4cm伸びるとすると、1年で16センチ、2年で32cmという計算か。

そういうわけで、2年と4か月ほど伸ばした結果、35cmの毛束が出来た。なので2年ぶり2回目のヘアドネーションをすることとした。
ヘア+ドネーション(寄附)=髪の毛を寄附する。


癌などの病気や事故で髪の毛を失った子供達に、寄附された髪の毛を材料にして「医療用ウィッグ(かつら)」を作り、無償で提供するというボランティアだ。
この取り組みは、だいぶ世間に知れ渡っているようだし、アタシが住まう県の自治体でも推奨している。

     ↑ ツチノコか?

2年チョイぶりに切った髪の毛を、手に触れマジマジと見てみる。
髪の手入れは、わりとしっかりやったつもりだった。トリートメントは欠かさず、また寝る時も髪に負担がかからないようにもした。
しかし、数年前の髪の毛と比べて、毛にツヤがない。直毛のつもりだったのが、パーマをかけていないのにうねっている。
なんか毛束が全体的にハリがなくションボリした感じ。

これって「老い」、ですか…?

NPO法人に送ってみるが、これがウィッグの材料として使われるかどうかは分からない。(お知らせとか来ない) 医療用ウィッグに使われなくても、見習い美容師の練習用にでもなればそれでヨシとするか。

また数年伸ばして寄附をするかどうかは未定だ。子供達にこんなババアのツヤ・ハリのない毛では気の毒かな~と思ったりもする。

しかし、使用する髪の毛はまだ不足しているという。そして、こちらの自己満足で髪の毛を送ったとて、ウィッグを作製する資金も不足しているそうだ。専門家による手植えでウィッグを作るので手間もお金もかかるのだろう。

 

2年前に贈った髪の毛が、どこかのお子さんの手に渡っているのを期待しつつ、また2度目の髪を贈る。

~Fin~

 

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