つぶやきよりチョイ長め

【別冊】Theノンフィクション

【クソ親父】一人親方だった父は、家でも独りだった。

昭和9年生まれの父。この夏で90歳になる。

背筋もしゃんとして、マンガに出てくるようなヨボヨボの爺さん、という感じでは全くない。高齢になると食が細くなるというが、そんなことはなく朝からご飯をおかわりする、そんな衰え知らずの父だ。まだまだ長生きしそう。

この父、ちゃっちきの大工だった。今のように建設会社に所属する作業員とは違い、父の時代は棟梁に弟子入りをしてそのまま棟梁の元で働くか、または数年で一人立ちをするかだった。父は後者だ。いわゆる一人親方であった。

昭和30年代~50年代は、建築バブルと言われる時代で父はよく働いていた。盆と正月くらいしか休んでいなかったのを覚えている。

父は、左手人差し指の第一関節より上が無い。電動ノコギリで「たたっ斬った」と言っていた。今のように労災でどうにかしようとか、そんな時代ではない。そして一人親方はそんな保障もない。子供のアタシは、この人差し指を撫でて痛かった?どのくらい痛かった?と何度も聞いた。手が荒れ、パックリ割れた指先や爪の中には松ヤニが入り込み真っ黒だった。この手でアタシは育てられたのだ。たくましく愛しい手だ。

こういう風に書くと、お涙頂戴のようになるが、いやいや全然、全く。

この父、アタシが子供の頃は酒癖が悪く、よく母に手を挙げ足も挙げていた。仕事でもこだわりが強いらしく、気に入らないと現場に行かない。更に飲酒運転で2回交通事故を起こしている。(当時、飲酒運転は一発免許取り消しではなかった)ようするにクソ親父だ。母には色々と苦労をかけていた。当時アタシは、この父があまり好きではなかった。そして、母とよくケンカをしていたし、兄もそんな父を相手にしていなかった。なので父は家の中でも、一人親方(独り)だった。

 

このアタシ、年齢を重ね経験とわずかな知恵が付き、(やっと)世の中が解り始めたが、この父って実は「スゴクね?」と思い始めた。

この人、自分で理想の家を設計し、働きながら資金を作り、自分でノコギリを使い、金槌で釘を打ち、マイホームを完成させた。夢を手に入れたのだ。

これって、今や死語の「男のロマン」なのではないか?一生の夢をナニゲに叶えているのだ。

今のアタシの歳には、父はすでに夢を叶えていた。それに比べ、今のアタシは何も手に入れていない。「クソ親父」なんてどの口で言うか!

この家の建設中、中学生のアタシは父の仕事ぶりを生まれて始めて見た。ちょうど二階へ上る階段を設置しているところだった。相当の力がいるのだろう。父の汗がタラタラと滴る。その汗がキラっと光った。そのキラっ、が数十年経った今も目に焼き付いている。

あのクソ親父が、自分の生業を見せてくれた。そして父はそれを当たり前とし、今も恩を着せることや自慢することは一切ない。

少し前「親ガチャ」という言葉が流行ったが、流行らせた人はきっと若い人達だろう。

アタシが「クソ親父」と言っていたのと同じように、年齢を重ねた時に親の有難みが解って来るはずだ。

お父さん、クソ親父って言ってゴメン。

 

~Fin~

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