つぶやきよりチョイ長め

⭐経験談がメインです🌼

【ほろ苦】ソフトボール部でピッチャーやっていたのだが、控え投手でくやしくて未だに泣く。

タイトルの件、中学生の頃の苦ーーーい思い出だ。

 

アタシは、アタマは悪いが割と運動神経は良い方だった。

当時、ソフトボールを初めて握り、バットを振ったのも初めてだった。

生まれ持っての左ききで、この競技ではいろいろと有利だった。

最初、皆が右側のバッターボックスに立つので、アタシもそうするもんだと右で打つと、なんか上手くいかない。監督は「左でやってみ」と言われ試しに左で打って見るとパカパカ打てた。

なので、1年生の時から左利きであることに期待され、監督は目に見えてアタシをしごいた。

アタシもその期待を肌で感じていたので頑張った。

 

レギュラーになったのは、2年生になってから。

2年生レギュラーは2人だけで、ユニフォームも着せてもらえ誇らしかった。

そしてアタシは、2年生で3年生エースの控えピッチャーとして抜擢された。

後輩からも「次期エース、かっこいい」なんて言われ、チヤホヤされた。

そう、2年生までは良かったのだ。

 

中体連が終わり3年生が引退した頃、他のメンバーがドンドン上手くなって、アタシとあまり変わらないくらいに上達した。

更にこの頃になると、第二次性徴期で体格の差が出てきた。

アタシは小柄でやせ型、体力がなかった。

左投げ・左打ち その価値はなくなった。

そうなると練習も力が入らなくなった。

 

それから、アタシらが中心メンバーになり、最初の大会でメンバー発表があった。

「ファースト/ 3番打者」

アタシは、背番号「1」は貰えなかった。

このチームのエース選抜から落選した。

貰えたのは背番号「3」ファースト兼リリーフだった。

ファーストはベースに足を着けた状態で捕球しなければならないので、左ききは優位だ。

また1・2塁間の打球を処理するのにも左利きは便利なのだ。

 

結局、監督は(チーム)は、力のない左ピッチャーとして使うより、ファーストと兼任のリリーフに決めたのだ。

 

悲しかった。くやしかった。エースで活躍したかった。

エースの子を妬んでも仕方ないのに、その子に優しくなれなかった。

 

あれから数十年経つが、社会に出てこれよりもっと悔しいことあっても泣かないのに、未だにこの事を思い出すとちょっと泣く。

 

これが、当時15歳のアタシのホンネだ。